大学の機関誌のために執筆した随筆
三田評論-2013年11月号-社中交歓(飴)
『飴を練る 機を楽しむ』
食べて台(よろこ)ぶから「飴」というそうだが、これに見る楽しさが加わって昔ながらの飴細工。握り鋏一丁、むしろすぐ食べられないようにうまいこと愛らしい動物などの形にするのが勝負なのだが子供にはよく負ける。細工は飴を切る・曲げる・伸ばす・挟む・つぶすという動作をいくつか同時にやるので見ていて不思議な速さで動物たちが生まれる。ピンポン玉大の飴が三分ほどで五百円から千五百円の品物になる錬金術的な手技は本より見て盗んだ技を磨いた。職人のような芸人のような、雑誌では絶滅危惧種の取材を受けた。こだわっている点は一つ。一つの飴の塊を残さず余さず全部を使い切って最終形に仕上げる。英語ではcandy sculptureとも言うが、不要な部分を切り落とすということはしない。逆に部分をつくって合わせることもない。おまけや見栄えを良くするために飴を後から足すことはあるが、ウェブサイトにはあえて基本形しか載せず実演を見てのお楽しみにしている。
出張実演で呼ばれる先は様々、会う人も様々。結婚式の余興で行った夫婦が数年経って子供連れで祭りの屋台に来てくれた。連合三田会の催しで懐かしの日吉キャンパスで同級生に会った。飴細工のおかげで嬉しい出会い再会が一杯。この五日からは中東アブダビへ出張実演に行く。
水木貴広 飴細工師 平8法
三田評論-2003年6月号-塾員クロスロード『飴細工』
『飴細工』
あめ細工というと洋風のアメ細工と和風の飴細工の二種類あって、私がやっているのは和風のほうです。熱い飴を手で練り、和はさみを使い、切ったり摘んだり引っ張ったりと、様々な細工で干支の動物などをつくります。飴は最初は80度くらいの熱さですが、手に取るとほんの数分で固まってしまい、細工ができるのはそのうちの一分ほどです。その短い時間で様々な形が出来上がるところが、飴細工の見ていてなんとも面白いところです。
私が最初に飴細工に出会った時には、次々につくり出される動物たちと鮮やかなその手さばきに魅せられ、時間を忘れて、気が付くと5時間もじっとそばで見ていました。
先達のところへほとんど押しかけるようにして弟子のまねをし、まずはこれから、と始めた飴を練る練習では火傷ばかりをたくさんつくり、一体いつになったら形になった飴細工をつくれるようになるのかと、指先を冷やす毎日でした。火傷が治るまでは練習はできません。それでは治るまでの間に、と考え作ったのが飴細工のホームページです。
飴細工を主題にしたウェブサイトがこれ以前に無かったためか、思いもしないような先からあちこち問合せが来始めました。保育園の雛祭りに国際会議のレセプション、開店記念に結婚披露宴までいろいろです。国際会議に集まった様々の国の人の様々の色の目にも飴細工は面白く映ったようで、最後は皆さん手に手に飴細工を持ってのお帰りでした。国の違う人にも、大人にも子どもにも喜ばれるのが飴細工をやっていて面白いところです。
もともと飴細工は子ども相手の商売でした、今でも一番のお客さんは子どもたちです。飴細工師になるまでおぼえのないオジサンという呼ばれ方にも、今はすっかり慣れました。なかにはちゃんとお母さんの忠告を聞いて、お兄さんと呼んだり、言い直したりですが、そんな気を使うのはお母さんだけで、子どもの目にはやはりオジサンでしょう。そんなやり取りなどがまたとても面白いのです。
子どもたちだけの輪ができる時が一番面白く、「飴細工だ、懐かしい!」などとまだ低学年の小さい子が言うので可笑しくなってしまいます。
この子どもたちがいつか大人になった時、飴細工を見て本当に"懐かしい"という気持ちを呼び起こす、そんな日があって欲しい、それまで今日のこの一瞬の出会いを覚えていて欲しいな、などと思いながらいつも熱い飴を練っているのです。
水木貴広 飴細工師 平8法